世界/社会に触れるノンフィクション vol.1

「建国大学」。この名を知っている人はどれくらいいるのだろうか。三浦英之『五色の虹ーー満州建国大学 卒業生たちの戦後』によると、そこは「日中戦争当時、日本が満州国に設立した最高学府」であり、「日本政府がその傀儡国家における将来の国家運営を担わせようと、日本全土や満州全域から選抜した、いわば戦前戦中の『スーパーエリート』」たちがいく大学であった。だが、私たちのほとんどはその存在さえも知らない*1

 

彼らが戦前・戦中・戦後生きた世界は一言でいえば「壮絶」なのかもしれないが、経験を伝えるときの言葉の儚さ、無力さも同時に味わえる内容になっている本が、上の『五色の虹』である。

 

序文には建国大学一期生、村上の言葉がある。

友よ。九一歳になった今でも、私は君のことを誇りに思う。君のような心意気を、自己犠牲の精神を、今この国の若者はどれだけ持ち合わせているだろう。

君と誓った、「いい国をつくろう」。

その行く末をもう少し見定めてから、私は君のもとへ逝こう。 

一歩間違えればだだの極右にしか見えない文章ではあるが、おそらくそれは違うだろう。なぜなら彼らには「言論の自由」を理解できる頭脳、そして実践できる環境があったのだから。 

 

社会学を学び、ノンフィクションを読む意義は、私たちを規定する「何か」を理解することだと思う。善/悪の次元ではなく、ただただ構造を把握すること。それを人間の経験・システムから導き出し、よりよい理解を目指すことだと思う。

ただその「何か」はときとして「時代」で片付けらるものかもしれない。以下は三浦が建国大学二期生、藤村にインタビューしている内容である。

私は取材の最後にあえて聞きにくい質問を藤村に尋ねた。

「藤村さんの人生は幸せだったのでしょうか」

藤村は一瞬笑ったように見えた。

「自分でもよくわかりません」と彼は私を見つめて緩やかに言った。「人生は一度きりしかありませんから。誰にもその比較ができません。若い頃は目の前に沢山の道が開けていて、全部が自分の可能性のように思えてしまう。すべてが自分の未来だと勘違いしてしまうんですね。でも本当はそうじゃない。そのうちのほんの一つしか選べない。自分が生きてきた人生がすなわち私の人生だとすれば、私は私の人生に悔いというものはありません」

「もしもあのとき、満州に渡っていなかったら、と考えることはありますか」

「それは……、あるかもしれません」と藤村はゆっくりとした口調で言った。「でもそれはあの大きな時代のうねりのなかでは、あまり考えることを必要としない問いかけだと思います。空から爆弾が降ってくるような時代に、人の運命がどうなるかなんて、木の葉がどこかに落ちるかを予想するくらい難しかったんです。今、社会に存在している確実性というものが、当時にはまったく存在していなかった。人の人生なんて所詮、時代という大きな運河に浮かんだ小さな手こぎの舟にすぎない。小さな力で必死に櫓を漕ぎだしてみたところで、自ら進める距離はほんのわずかで、結局、川の流れに沿って我々は流されていくしかないのです。誰も自らの未来を予測することなんてできない。不確実性という言葉した私たちの時代にはなかったのです。(三浦 2015: 83-4)

「でも本当はそうじゃない。そのうちのほんの一つしか選べない」。この意味・内実を10代の頃の私なら理解できなかっただろうなと思いながら読んだ。そして「ほんの一つしか選べない」事実は私が観ている社会と他者が観ている社会に誤差があることを示している。本を読むことで、または他者に耳を傾けることで少しは緩和されるかもしれないが、この誤差はコミュケーションの前提にもっておいたほうがよいものなのかもしれない。

そして、後半にある「人の人生なんて所詮、時代という大きな運河に浮かんだ小さな手こぎの舟にすぎない」という文言は、今の私にとって考えさせらるものであった。この文章を読んで、「だからこそ」と思うか「それでもなお」と言葉をつむぐかによって方向性はだいぶ変わるのだろう*2。個ではどうすることもできない時代のうねりがあり、現代の私たちも形は違えど、そのうねりの中で生きている。藤村の言葉でいえば確実性がある世界で生きている。その確実性を憂いたところで意味はなく、その次の次元に私たちは生きている。つまり確実性の社会をいかに生きるのかと。その恩恵を十二分に活かすためにいかに生きるのかと。

 

あと、「『知る』ことはやがて『勇気』へとつながり、『勇気』は必ず『力』へと変わる」(三浦 2015:172)も記憶に残る言葉だった。研究する立場の人間として、勇気付けられる言葉であった。

 

建国大学やその学生の実態は歴史の流れによって、その一旦しか今後もわからないだろう。それを知るには絶対的な情報の少なさに加え、学生たちの高齢化が著しいからだ。しかしそれでもなお、文字にすることで記録になり、それは記憶されていく。その大切さを痛感する本だった。そして、幾度となく目頭が熱くなる本だった。

 

                 『五色の虹』

                     三浦英之

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五色の虹

*1:もちろん知っている人は知ってるんだろうけどね

*2:規範的に主張しているわけではない

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